衝撃的なニュースが入ってきました。
停車位置ずれてドア開かず、窓から避難した乗客 京王線切りつけ事件
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5536cb83b17ea6ad6bee363ad32b48ef474d465
先日の小田急線といい、またも運転中の列車内でこのような凶行が起きたことは残念でしかありません。しかも今回は列車に放火するという許しがたい行為に及んでおり、一歩間違えたら多数の死者が出たかもしれません。本当に怒りを感じます。
事件の内容等については報道機関に譲るとして、当サイトでは当該列車の運転状況と取り扱いに絞りたいと思います。新聞発表や現場の動画を基に経験上から推察される内容であることを予めご承知ください。
報道発表から読み取る当該列車の取り扱い
情報が断片的なのですが報道発表を基にするとこのような内容です。
「2021年10月30日19時56分頃、京王線布田駅を通過中の特急列車で刃物を持った男が暴れているため車内通報装置が取り扱われ、通過駅である次の国領駅で臨時停車。犯人による放火により車内で火災が発生していたが当駅はホームドアがあり、停止位置がずれていたためドアが開かず乗客が窓から脱出する事態に至った」
別の記事ではこのような内容も。
京王線刺傷 車両ドア開かなかったワケは?
https://news.livedoor.com/article/detail/21122749/
車両が通常の停車位置より手前に停止したということです。また、外に出ようとした乗客がドアの非常用コックを使用していたため、車両がそれ以上動かせない状況になっていて、駅のホームドアの位置と合わずに車両のドアを開けられなかったということです。
2021年11月1日 12時1分 日テレNEWS24
混乱した乗客が咄嗟にドアコックを取り扱ったために混乱が生じたという論調です。
キーワード1:ホームドア
ホームドアは2000年施行の交通バリアフリー法や新大久保駅での転落事故などの影響により大手鉄道会社で整備が進んでいます。この国領駅では2012年からホームドアが使用開始になっているとのことです。
安全設備としては素晴らしいホームドアですが、ただ取り付けるだけというわけにはいきません。すなわちホームドアと乗降ドアが合致していなければドアを開けられないようにしなければいけません。目の前が壁では話になりませんからね。
これはJR西日本・大阪駅の例です。
ここで出てくるのが停止位置検知装置です。この写真のようにホームドアのほうが概ね1m程度広めにつくるのが一般的で、この範囲で停止できなければドアが開かないような機構になっています。元々はホームから外れた状態でドアが開かないようにするために開発されたもので京浜東北線が最初の例です。
ホーム検知装置の開発
https://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_21/Tech-21-21-26.pdf
その後順次使用範囲が拡大し大手鉄道会社を中心に一般的な保安装置のひとつになりました。オーバーランが発生した際の誤扱いやワンマン運転でのホーム反対側のドア誤扱い防止などで威力を発揮しています。これがホームドア採用にあたって活用されているというわけです。
このためホームドア設置の線区では停止位置がシビアになるため運転士の負担増となっている実情があり、事業者によってはTASK(定位置停止装置)が設備され、これが自動運転の技術へとつながっているという側面がありますが、これはまた別の機会に取り上げたいと思います。
というわけでホームドアは停止位置がシビアという点を押さえておく必要があります。
キーワード2:ドアコック
ドアコックとは文字通り乗降ドアを開けるためのコックで、会社によってDコックや三方コックなどの表現がありますがモノは同じで、ドア動作のための圧縮空気の供給を絶って自動ドアを手動で開閉できるようにするためのコックです。
この円形の中にあるのがドアコックです。乗降ドアの近くには必ず設置されていて、会社によっては蓋がされている場合がありますがドアコックであることが必ず明示されています。もちろん新幹線にも同様のドアコックが存在します。
なぜ明示されているかというと1951年4月24日に発生した桜木町事故の対策です。この事故では架線のショートにより列車火災が発生したにもかかわらずドアを開けることができず、窓も狭かったために乗客が脱出できず多数の犠牲者を出しました。このため非常時には乗務員が駆け付けなくても車内から脱出できるように日本全国どこの事業者でもドアコックの位置をわかりやすくしています。
すなわち誰にでも触れることができてドアに付随した物理装置なので遠隔で操作状態がわかりません。このため操作されると場所特定にタイムラグが発生するうえに現地に行かなければ復旧もできません。
ちなみにドアが少しでも開いた状態になったら列車は力行運転ができなくなるように回路が設計されています。何故ならドアが開いた状態で運転を続けたら転落の恐れがあるからです。運転士の取り扱いとしても戸閉表示灯が消灯した場合は直ちに停止するよう定められています。
これが列車を動かせられないという状況につながったわけです。
発表内容と違う!
報道発表だけならこれで終わりなのですが、このご時世やはり撮影している人がいるのですね。身の危険が迫っているのに凄いと思います。自分が乗客として現場にいたらとりあえず逃げますね。
その乗り合わせていた人が撮影したという動画をロイター通信がツイートしていましたのでご紹介いたします。
衝撃映像なのでご注意ください。
この動画をみて「?」になりました。新聞発表と明らかに違うからです。
記事では減速中にドアコックを扱われて手前に停車して動けなくなったとありますが、動画を見ている限りでは所定停止位置から明らかにずれて停止したあと停止位置を修正するために後退しています。「なんで戻ってんだよ!」という叫び声が聞こえていますので見間違いではありません。
そしてホームドアと合致しない位置で再び停止、すかさず乗客は競って窓から脱出しています。この点についても記事の内容に齟齬があります。
手動操作もできるが、駅係員は乗客らが転落する恐れがあるとして見送ったという。
朝日新聞 11/1(月) 12:47配信
発表内容が事実だとするとまさに本末転倒、窓から出るほうが余程危険だと思います。ましてや地下区間という悪条件において列車火災が発生しているのです。煙が充満しつつある車内に留まるほうが危険なのは誰の目にも明らかであって、それと転落を天秤にかけてもなお見送るという判断にはならないのが普通です。転落が怖ければホーム側を開ければ済むだけの話ですからね。
これらを総合すると以下のような取扱いが推測されます。
1. 所定停止位置を行き過ぎて停止
2. 退行運転するも途中で車内ドアコック取扱いにより戸閉表示灯消灯
3. 直ちに停止するもホームドアとずれた位置で停止
4. 車掌スイッチを操作するも停止位置検知装置によりドア開扉操作キャンセル
5. 駅係員はホームドアのために車外ドアコックに辿りつけず開扉不能
要するにホームドアが”あるがゆえ”に車両のドアを開けられなかったのではないかと考えられるわけです。 「見送った」の件は後付けというのが私の見立てですね。
ここで検知装置を短絡するスイッチがあるだろうという話が当然出てくると思いますが、恐らくそこまで頭が回っていなかったのではないでしょうか?
プロの乗務員が頭が回らなかったなんてことがあるのか?というご指摘をいただきそうですが、我々乗務員も人間です。異常時訓練を受けているとはいえ想定の範囲を超えた場合に持ちうるパフォーマンスを発揮できるかと言えばなかなか難しいものがあります。
動画を見る限り、オーバーラン(通過駅なのでこの表現は不適かもしれませんが)ののちすぐに退行というトンデモ運転をしています。どのような会社でも退行には指令もしくは車掌との打ち合わせなどが必要で、この速さで適正な手続きが行われているとは到底思えません。このような運転が読み取れる時点で当該の乗務員は相当焦っているものと推察され、停止したあとドア開扉操作をしたにもかかわらずドアが開かずに頭が真っ白という事態は十分に考えられます。
停止後すぐに乗客が窓から脱出している状態からみても駅員が駆け付けた時点では最早ホームドアなどと言っている次元ではなかったものと思われます。
それにしても発表と実際が違うのはどういうことでしょうか?
この辺をみても京王電鉄当局が当該乗務員や駅員に対してちゃんとした聴取ができていないのが見て取れます。会社側も相当混乱していますね。
上記のとおり取扱いに手落ちが見受けられるので最悪乗務員も一本取られる可能性があります。それがこの商売の辛いところです。
【UPDATE 2021/11/03】
このあと追加情報が出ました。列車が現場で後退したことが公式に発表されましたが、退行運転ではなく流転したとのことです。補足訂正を含めた記事を投稿しましたので併せてお読みください。
対策は見回りが限界?
鉄道マンたるもの列車火災や地震といった異常時の訓練は定期的に受けています。しかしながらこのような車内での通り魔事件は想定の範囲外…いや正解がほぼないというのが実情で、果たして自分が担当している列車でベストな対応ができるかと言われれば正直難しいとしか答えようがありません。
ではこのような事態にならないような対策が事前にできるのかと言えばそれもまた難しい問題です。
大量輸送を任務とする鉄道において乗客全員のセキュリティチェックをするのは限界があります。コロナ禍で輸送量が鈍化しているとはいえ通勤列車は未だ健在で、地方鉄道であってもラッシュ時は乗車率100%超えとかは当たり前の世界です。そのような状況で手荷物チェックなんて現実的に不可能なのは朝の通勤列車に乗車したことがある方なら誰にでもわかる話です。
鉄道警察隊による列車の警乗も効果的に思えますが、総ての列車に警乗できるだけの警察官が配置されているわけではないので効果は限定的です。考えてみれば旅客鉄道を運転するようになって警乗を見たのって5回ぐらいですね。だいたい年一回程度、これでは抑止効果はほぼ無いと言って過言ではありません。
となると対策は限られたものになります。すなわち定期的な注意喚起の放送と見回りです。現に国交省からも「巡回の強化や警戒監視を徹底するよう注意喚起」とのこと、これしか対策がないのが歯がゆいところです。
ひとつ確かな対策は、乗車している列車でこのような事態が目の前で発生したら一目散に逃げることですね。周囲の状況が掴みにくいノイズキャンセリングのイヤホンとかもやめたほうがいいです。少なくとも撮影している場合ではないですよ。
あとは現場の鉄道マンが何とかします。怖いですけど。
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